生活と文化
生活あれこれ ラ・ヴィ アルザス
フランス・アルザス社会の質問
アルザス地方の歴史を読む
先史時代~750年
- 紀元前8世紀 ケルト人がアルザスに定着する。
- 紀元前58年 ユリウス・カエサル(Jules César)率いるローマ帝国部隊がアルザスの地に降り、ガリア人・ゲルマン人を服従させる。
- 378年 アラマン人がアルザスに侵入し、その文化を広め、村を建設する。アルザス語は彼らの用いていた言語。(ドイツAllemagneの呼称もここによる。)
- 496年 トルビャク(Tolbiac)の戦いで、フランク人がアラマン人を破る。クローヴィスのフランク王国に合併された後も、アラマン人がアルザス地方の主要民族であった。
- 511年 クローヴィスの死後、アウストラシア(Austrasie)に組み入れられる。
- 5世紀~750年 メロヴィング朝(Mérovingiens)がアルザス地方繁栄の基礎を築く。(630年頃、「アルザス」公国の名称が現れるものの、750年頃には消えて2つの領土に分かれる。→この2つが現在の県のもと)
751年~中世時代
- 751年~ 無為王時代の後、カロリング朝がアルザス地方に入植し、アルザスに繁栄をもたらす。キリスト教化が発展し、数々の修道院が建設される。(ヴィッセンブール、マンステール、サン・トディールなど)ぶどう栽培が主要産業となる。
- 842年 カール大帝(Charlemagne)死後、ルートヴィヒ1世(Louis le Pieux)の時代に、息子たちの間で王国が分裂する。842年『ストラスブールの近い(les serments de Strasbourg)』によって、西フランク王のシャルル2世(Charle 2 le Chauve)と東フランク王のルートヴィヒ2世(Louis le Germanique)が協力して、長兄ロタール1世(Lothaire 1er)に対抗することを誓約した。ロマンス語とゲルマン語で誓いをたてた。
- 870年 ロタール2世の死後、メルセン条約(Traité de Meerssen)により、ロタリンギアを東フランク王国と西フランク王国で分割した。これよりアルザス地方は東フランク王国(ドイツ)に属すこととなる。
- 10~11世紀 オットー大帝がゲルマン帝国を築き、アルザスはその中心として栄える。
- 1048~1054年 エギスハイム出身のレオン9世がローマ教皇となり、教会を近代化させる。
- 12世紀 神聖ローマ帝国のホーエンシュタウエン朝(Hohenstaufen)がアグノーを中心都市として帝国権力を確立する。
- 1354年 市町村が自由都市化し、十都市連盟を築く。
ルネサンス・宗教改革期~第二次世界大戦まで
- 15世紀~ フランス全体を疲弊させた100年戦争の影響をアルザス地方は受けず、いち早くルネサンス革命が訪れる。ストラスブールやコルマールを中心に、人文主義が広まり、すばらしい建築物、彫刻家が登場する。
- 1520年 マルティン・ルター(Martin Luther)が宗教改革を起こし、プロテスタント教会の源流を作る。
- 1621~1648年 30年戦争。スウェーデン軍が侵攻し、アルザス地方はヨーロッパの中でも一番の壊滅的被害を受ける。大量殺戮、飢饉、ペストにより農村人口が半分以下に減る。
- 1658~1681年 フランスがアルザスに議会を設置し、ルイ14世はアルザス地方への移住を招聘する。1675年、トゥルクハイムの戦い(Bataille de Turckheim)により、テュレンヌ子爵(Maréchal Turenne)率いるフランス軍がローマ帝国軍に勝利し、アルザスを完全にフランスのものとする。カトリック教、バロック様式、古典主義が流行する。
- 1789~1815年 フランス革命により、アルザスが国家のものとなる。ナポレオン皇帝の時代には、兵力や物資を供給する。
- 1870年 普仏戦争の敗北により、ロレーヌ地方モゼール県とともにアルザス地方はドイツに併合される。
- 1918年 第一次世界大戦後、アルザスはフランスに戻る。ドイツ法などを残したまま、1930年経済危機の影響を受ける。
- 1940~1945年 ナチス軍の侵攻により、再びアルザスはドイツに占領される。